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わが国のクレジットの源流

世の中には起業家といわれている人たちがいます。彼らに共通しているものは、マーケットが欲するものをいち早く察知してそれを事業化してしまうところです。もちろんそこにニーズがなければ成功することはありません。クレジットは消費者が使うものですから、消費者のニーズに応えなければ利用されることはありません。では消費者のニーズとは何かというと、その時代の技術が生み出した製品が、その時代の生活スタイルに欠けていて、その時代の消費者が欲しているかどうかということです。欠けていたとしても欲するものでなければ、消費者のニーズとはなりません。

そういう視点でクレジットがどう歩んできたかを、その発祥から最近まで駆け足で眺めてみることにします。金貸しが人類最古の職業といわれているのに比べると、クレジットが利用されるようになったのはずっと後のことです。理由は簡単です。商品の流通が盛んになって、庶民まで届くようにならなければクレジットは必要ないからです。この場合の商品は単なる第一次産業的な生産物ではなく、それを加工し付加価値を与えたものでなければなりません。わが国のクレジットの始まりは、「伊予の椀舟」商法といわれています。

江戸時代中期(一七六五年)に伊予の国桜井地方(愛媛県今治市)が幕府の天領になったことがきっかけです。当地で生産された年貢米は、幕府の御用米として米相場のあった大阪に運ばれました。その港になったのが桜井の河口港です。桜井は瀬戸内海の交通の拠点として次第に発展するようになりました。大阪をはじめとして各地との往来が活発になると、必然的に商業活動も盛んになり御用米を運搬する廻船業者も誕生しました。江戸の米運搬業者である札差が金貸しに転じたのと似たような経緯といえるかもしれません。