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決済の導入

わが国のクレジットの源流は、このように月賦販売が中心でした。しかし第二次世界大戦中は、完全にクレジット販売は停滞します。「欲しがりません勝つまでは」の戦時は、そもそも月賦どころではなかったからです。戦後になると月賦百貨店も営業を再開しましたが、月賦販売を仲介する専門業者が誕生します。一九五一年に三菱UFJニコスの母体になった日本信販が設立され、クーポンを発行しました。クーポンというのは、あらかじめ与信を受けられた人だけに発行される”信用票”とでもいうもので、加盟店で月賦販売を利用できるものでした。

同時期に各地の商店街組合もチケットといわれる信用票の発行を始めています。クーポンとチケットは呼び方が違うだけで同じ機能を持つものです。ただし、現代のように無担保のものではありません。クーポンは給料からの天引きで職域保証があり、チケットは地域の連帯保証で利用されていました。地域の粋が固かった当時は、こういった仕組みに違和感はなかったようです。そして高度成長期を迎えると、いろいろな商品が次から次へと登場して、月賦販売は庶民にとってなくてはならないものとなります。

月賦販売が順調かつ健全に進展するには、所得が右肩上がりで増えているのが最も望ましい状態です。少ない所得をやりくりして支出を平準化するのも、もちろん使い方としてはありますが、必需品の購入でない限り健全性を維持するのは難しいものです。高度経済成長がピークを迎えたのは一九六四年に開催された東京オリンピックです。同じころ、従来の分割払いとは毛色の違う与信システムが誕生しました。オリンピックで海外から来訪する観光客に便宜を図る目的で、日本ダイナースクラブ(現シティカードジャパン)が富士銀行(現みずほ銀行)と日本交通公社の合弁で設立されました。クレジットカードの登場です。このカードはマンスリークリアといわれる支払い方式で、月々の利用代金を翌月一括で払ってしまうというものでした。

その後も当時はいくつもあった都市銀行がそれぞれに、また共同で子会社としてクレジットカード会社を設立しました。初めのころのクレジットカードは、現在のようにサインや暗証番号で買い物ができるわけではなく、印鑑とサインが必要だったといった逸話や、カード加盟店の営業で小売店や飲食店に「カード会社です」と行くと「うちはカルタはいらないよ」といわれるなど、理解されて普及するまでにはずいぶん苦労があったようです。実際、クレジットカードの発行枚数は今でこそ三億枚を超えていますが、初めて統計がとられた一九七四年には二三〇〇万枚でした。初めてクレジットカードが発行されてからしばらくは、その普及はまったく遅々とした動きだったのです。